#174 アートディレクター 横山 欽一

時間との戦いが永遠に続くのがこの仕事。このSSDでスピード感、安心感、そして充実感を手に入れました。

第174回目の@Professional Usersはアートディレクターの横山 欽一(よこやま よしかず)さん。「文化祭をビジネスにする」をテーマに、デザイン、ディレクション、そして全体を把握するプロデュース能力を横山さんならではの人生の中で身につけ、現在は人気バンド Dragon Ashが所属する音楽事務所イノベーターで多くのアートデョレクションを手がけています。そんな横山さんがクリエイティブでバッファローのポータブルSSD、SSD-PGC960U3-BAを使用とのこと。早速LAVAが東京、青山にあるイノベーターを訪れ、お話を伺いました。

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Creator's Profile

横山 欽一

アートディレクターとしてホスピタリティーを核に持ち活動中。
また幼少期より絵を描く毎日を過ごし、「絵の描けるアートディレクター」をテーマにファッショングラフィックやCDジャケットなど多くのディレクションやデザインに携わる。
イラストレーションの影響により、ストーリー性を感じるアイデアを得意とする。

実績

Dragon Ash、10-FEET、KEYTALK、G-FREAK FACTORY、
京都大作戦、山人音楽祭
など多くのミュージシャンのグッズやフェスグッズ、CDジャケットに携わる。

Interview

高校生の時に「文化祭をビジネスにする」仕事につきたいと思いました

——横山さんがアートディレクターになっていった経緯を教えてください。

僕の実家は浦安にあります。浦安と言えばディズニーランド。浦安の人たちの日常生活には必ずディズニーが出てくるんです。車の中、行くお店、ラーメン屋、必ずディズニーグッズがあり、それが生活の中で根付いています。それもあって自分でもディズニーキャラクラーの絵を子供の頃から描くようになっていきました。あと鳥山明さんの「ドラゴンボール」の影響も大きいですね。

——なるほど。人気キャラクターからの影響が大きかったんですね。

そうですね。それと僕はクラスをまとめるようなことも得意だったんです。なになに委員長みたいなことをたくさんやっていました。高校の文化祭では絵も描けてチームをまとめることもできたので文化祭がとても好きになりました。これが商売になればいいと思っていたので両親に相談しました。「文化祭をビジネスにできないか」と。

——ふむふむ、それで両親は?

両親は公務員で、出てきた答えが「電通目指せば」という(笑)。

——(笑)正しいね。

それで電通を調べたんですが大学を出てないと入れないんですね。

——そりゃそうだろうね。

でも高校はまったく勉強してこなかったので結局は偏差値が低くても入れる大学にしか行けませんでした。でもその大学の先生が言ってくれた言葉がとても響いたんです。「この大学に入った時点で君たちの人生は決まっている。人生を変えたかったら自分でなにかを作り上げる力を身につけるか、今から編入して東大を目指せ」と。

——ぐさっときますね。

きました。でも自分はもとから勉強をする理由がわからない男で、そう言われても東大に入るための勉強は謎でした。なので自分のやりたいことで人生を切り開こうと決めたんです。

——そう決めたことでどういう大学生活を送りましたか?

大学1年生の時から文化祭に近い仕事をしている人を探すことに必死になっていました。OB訪問もして実際電通にも行きましたし、他のあらゆる代理店をまわりました。まわった結果あるCM会社にたどり着きました。僕は大学2年生の時にそこから異例の内定をもらえたんです。会社の人には内定を出すから2年間はインターシップとして働けと言われました。その通り大学に行きながら2年間必死に働いたんです。そこで僕はふたつのことに気がつきました。

試行錯誤しながら、ある日、やりたかったことができている自分に気付きました

——それは?

一つ目は若さゆえにもっと自分は尖ったものを作りたいと思ったことです。そのCM会社が作っているCMは大衆受けするものが多かったんです。そっちじゃないと気づきました。二つ目は指示されたくないということ。自分はリーダー気質なので指示する方がいいんです。当時の僕は入ったばかりのインターシップの立場なのに自分でアイデアを出したり、先輩を追い越して自らディレクターに会いに行ったりしていました。社内では当然生意気な奴と言われ出し、挙げ句の果てに上司からは「お前自衛隊に入れ」と言われる始末。インターンをやっていたその2年間で上からの制圧というものを初めて経験し、血便が出たり円形脱毛症にもなりました。体のコンディションが完全におかしくなったんですね。そして内定の1ヶ月前に「休ませて欲しい」と会社にお願いをしてスペインに行ってきました。地中海沿いを電車で走っている時に自分と同じ歳ぐらいの連中がビーチバレーをやっている風景が窓から見えました。「なんで自分はこんなストレスをためてるんだ」と心から思ったんです。そして帰国後、入社式の日に退社(笑)。

——(笑)。結局社員にはならなかったんですね。

はい。その日の夜に父にやめてきたと伝えたらすごく怒られました。父は大学に行っていなかったので今僕が何歳かを知らなかったんです。お前今いくつだ?と聞かれて23歳と言ったら、「お前まだ若いから大丈夫だ」と言ってくれました。そこで親のことは考えず、自分の好きなことだけをやろうと完全に決意したのです。この時点でも「文化祭を仕事にする」はテーマでした。

——なるほど。一貫したテーマのまま無職になられたのですか? その後は?

母の弟がグラフィックデザイナーだったので電話してみました。そのおじさんは家電メーカーのデザイン部で働くデザイナーでした。入れて欲しいとお願いしたら「お前パソコン使えないから駄目」と言われどうすればいいか聞いたら専門学校を紹介してくれました。すぐに入学できたんですがその学校では高卒の子たちが多く、のらりくらりと学生生活を送る人が多かった。これはまずいと感じ、その学校にはあまり行かずアルバイトしようと決めてデザイン会社をまわりました。どの会社でもパソコンを使えないと駄目と断られてしまうんですが。一社だけ自分の持ち込んだ手描きの絵を見て手描きの絵を持ってくる奴はいなかったと入れてくれました。そこは紙媒体の広告代理店で僕がやりたいこととは離れていましたが、パソコンの技術を身につけられたので割り切りながら働きました。

——そんな状態の中でなにか今に繋がる突破口になるようなエピソードがあったんですか?

とにかく自分のやりたい方向へ行っている友達を探しました。アパレル関係者が多かったですね。そこで初めてTシャツのデザインをさせてもらえるようになりました。評判も良くそういった依頼も増えてきたので専門学校卒業後もフリーで働くことを決意しました。結局文化祭をビジネスにしている会社とはめぐり会えなかったのでまた両親に現状を伝えましたが、「やるだけやってみろ。お前より先に死ぬ俺たちのことは考えなくていい」ときっぱり言われました。

——要所要所で大切なことを言ってくれるのはやはり親ですね。その時にフリーでやっていた仕事内容は?

アパレル方面のデザインの仕事をメインにやっていました。Tシャツのデザインから紙媒体用の撮影もするようになりました。ルックブック(カタログ)やポスター等の撮影ですね。Tシャツのデザインは自分ひとりでやる仕事ですがルックブックはチームでやる仕事でした。カメラマン、ヘアメイク、スタジオスタッフ、照明スタッフ等がいました。僕はそこでアートディレクターという立場で仕事をしていたんです。文化祭の時みたいなことができているとようやくそこで感じたんです。この仕事をどう広げていくかを真剣に考え出しました。僕はマスに向けての広告作りは好きではないので、アドバタイジングをやめて自分の興味のある音楽とファッションのアートディレクション及びグラフィックデザインに絞って仕事をしていこうと決めました。その後ある出会いから音楽事務所のイノベーターに所属することになりました。今から6年前のことです。

——ようやく文化祭ビジネスに出会えたんですね。現在イノベーターで手がけている仕事を教えてください。

CDジャケットの制作、ライブグッズ、バンドグッズの制作、Tシャツ、ルックブックのディレクションと制作です。あとは音楽フェスのトータルデザイン。実際はアートディレクターですがこの音楽フェスのトータルデザインではプロデュースの仕事に近いことをやらせていただいています。アパレルとの仕事も多いのですが、音楽とファッションは同じベクトルで作れるので、今のクリエイティブはとても自分に合っている気がします。尖っているものもできているし誰に従うわけでもないので。所属アーティストのDragon Ashに関してはボーカルのケンジさんがクリエイティブデザインも全て手がけるので、僕は彼のお手伝いをしています。

どう面白くアプローチできるかの企画力が大事。そこが自分のデザイナーとしての売りです

——では横山さんが手がけたクリエイティブの中でなにかひとつを選んで、その作品が出来上がるまでのプロセスを教えてください。

了解しました。バンドの10-FEETのバンドTシャツを作って欲しいと依頼が来ました。和柄で作って欲しいというリクエストでした。普通のデザイナーなら浮世絵や侍とかをモチーフにして作るのでしょうが僕はそうではなく、英語で"10-FEET"と書いてあるけどよく見るとひらがなでも「てんふぃぃと」と読めるようなフォントを作りました。これはデザインというよりアイデアの部分。僕のデザイナーとしてユニークな部分ですね。自分のバックボーンはもともとCM業界です。CMは元来ものが売れないと駄目です。ものを売るにあたってどう面白くアプローチできるかの企画力がCMの大事なところです。大元となるアイデアプロセスが最も重要だと思います。その部分がこの10-FEETのTシャツ制作に出ていますね。他のデザインやアートディレクションに関しても同じ考えで向かい合っています。そのアーティストのファンがどういうものを期待し欲しいかを考え、ライブでのお客さんの乗りかたもチェックしてグッズにつなげたりTシャツやCDジャケットにも活かしています。

——今後横山さんがやりたいこと、行きたい方向はありますか?

今よりもプロデュース業を増やしたいですね。全体のバジェットをコントロールして動きたいです。自分はいろいろなことをシェアしたいリーダーシップ的な人間です。今時代はシェアしたり自分以外のことを考えることが主流になってきています。そこには常に敏感でいたいです。

——同感です。ではパソコンの話をしましょう。メインで使っているパソコンとソフトを教えてください。

メインのパソコンはMacBook Proで、ソフトはイラストレーター、フォトショップ、どちらもクリエイティブクラウド(CC)です。パソコンは道具の一つととらえています。手描きの方がいいと思ったらパソコンは一切使いません。アウトプットの問題です。この曲はアコースティックギターを弾く方がいいかエレキの方がいいか。それと同じです。

——現在横山さんが使用中のバッファローのポータブルSSD、SSD-PGC960U3-BAについてお聞かせください。

あるファッションブランドのルックブックの撮影終わりに普段はカメラマンからその日に撮影した写真のデータをすべてもらうのですが、カメラマンが忙しくコピーするのにも時間がかかるという理由でデータをもらわなかったんです。その結果1枚のデータが壊れて見られなくなりました。データはなんとか復旧できて見られましたが、そういうリスクがあるので撮影には必ずポータブルのハードディスクを持参して、その日のうちにコピーすべきと痛感しました。わかってはいたんですがそういうトラブルがあるとバックアップの大切さに改めて気付きます。なので手がけた仕事に関しては必ず現場でバックアップを取るとその日以来決めました。だからカメラマンの忙しさにも対応出来るコピー速度の速いハードディスクが必要になったんです。そして出会ったのがバッファローのポータブルSSD、SSD-PGC960U3-BA。まずとにかく小さくてびっくりしました。そしてこの軽さ。僕のような外の現場の多いデザイナーにはもってこいのSSDです。ちなみにまた忙しいカメラマンとの仕事がありましたが、空き時間にささっとコピーできましたよ。なのでこのポータブルSSDは完全に現場用です。コピー、本当に速いです。小さくて速いというのは僕らにとっては最強であり、どれだけ助かるか計り知れないものがあります。SSDって話には聞いていましたが使ってみると実感できますね。優れものです。ディレクターとしてはあらゆるトラブルをリスクヘッジしないとけない部分があります。特に現場ではなにが起こるかわかりません。でもこのようなポータブルのメデイアがあるとリスクヘッジにもなりますし、データが壊れても確実にバックアップを取っているので対処もできます。カメラマンが帰ったあとにクライアントとすぐに写真のセレクトができたりと、現場のスピード感もアップします。撮影ってとにかくどんな現場でもたくさんの写真を撮ります。それをその場で選べて、OKを出せたら今後の作業がとてもスムースになるんです。持っているSSDひとつでその後の作業が円滑に行くか行かないかが決まるんですからとても重要なアイテムであることは間違いありません。時間との戦いが永遠に続くのがこの仕事ですからね。このSSDでスピード感、安心感、そして充実感を手に入れた気がします。

——ありがとうございます。今後の横山さんのクリエイティブにどんどんと活かしてください。では最後に横山さんのようなアートディレクターになりたい人たちにメッセージをお願いします。

自分のキャッチコピーを作るといいと思います。要は自分というキャラクターを理解すること。そうすると自分はどのポジションで生きていけるかを理解できるはずです。自分はリーダーなのか、リーダーを追うひとなのか。後者だと思えたらまた考え直した方がいいですし、そしてまた違うやり方を見つけた方がいいと思います。

——今日はどうもありがとうございました。

Interview Photos

ここからは横山さんの制作したものです。ご本人に説明してもらいます。
「Dragon Ashの制作物です。Dragon Ashは意味合いよりもDragon Ashらしさを大切にデザイン提案しています。絵のタッチやフォントなどファンのDragon Ashのイメージを壊さず過去に無かった提案を心掛けています。」

横山さんご使用の人気のバッファローのポータブルSSD、SSD-PGC960U3-BAです。現場でのトラブルがあった横山さんは、「現場でのカメラマンの忙しさにも対応出来るコピー速度の速いハードディスクをゲットしようと決めていました。そして出会ったのがバッファローのポータブルSSD、SSD-PGC960U3-BAです。まずとにかく小さくてびっくりしました。そしてこの軽さ。僕のような外の現場の多いデザイナーにはもってこいのSSDです。ちなみにまた忙しいカメラマンとの仕事がありましたが、空き時間にささっとコピーできましたよ。なのでこのポータブルSSDは完全に現場用です。コピー、本当に速いです。」とおっしゃってくれました。スピード感、安心感、そして充実感を手に入れたと終始大絶賛でした。

お仕事中の横山さん。デザインの仕事だけでなくチームを引っ張るディレクションの仕事もあるので、日々大忙しだといいます。ただ自分が一番やりたいことができている状況だと、とても楽しそうに語ってくれました。ちなみに現場での仕事が本当に多いのでこのSSDは手放せないそうです。

第一線の音楽事務所でアートワークのディレクションを任されているだけあって、横山さんはかなり高い感度と自身のアンテナを設定して働いているなと感じました。今起こっていることにとても敏感であり、それだけなく感じとったことをしっかりアクションにつなげているという印象です。僕もプロジェクトのリーダーポジションにいるのでとてもいい話が聞けました。今後も最強のデザイン、そして愛あるアートディレクターになっていってください。あ、横山さんはこれから僕のインスタグラムの先生に就任してくれました(笑)。

Creator's Favorite Foods

横山 欽一の好きな料理“この一品!” 「WAGYU HACHIのサイコロステーキランチセット」

横山さん曰く、「会社近くにあるステーキ屋さんの大好きなステーキセット。昼も夜も行きます。社長も僕をよくここに連れて来てくれるんです。青山ではお薦めのステーキレストランです。」

今回登場した商品

SSD-PGCU3-Aシリーズ

変換アダプター不要でUSB Type-CにつながるUSB 3.1(Gen1)対応ポータブルSSD。「A to Micro Bケーブル」と「C to Micro Bケーブル」を同梱しています。そして筐体底部と内部に衝撃吸収力の高いTPU(熱可塑性ポリウレタン)を使用した衝撃吸収設計(特許出願済)を採用。設置時などにかかる本体への衝撃を和らげます。また、USBケーブルのグラつきを防いでコネクターへのストレスを軽減するコネクター保護設計(実用新案出願済)を採用し、コネクター部分の故障リスクを軽減。さらに、米軍納入品の選定に用いられる米国MIL規格「MIL-STD-810G 516.6 Procedure IV※」に準拠しており、高い耐衝撃性を実現しています。
※ 試験サンプルを122cmの高さからすべての辺、面、角の合計26方向落下させます。試験サンプル5台以内で26方向落下すべてにおいて正常が確認できたら試験合格となります。