バッファローが継承した「nasne」。
新製品の価格決定にデータサイエンスを活用

バッファローは、ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)が2012年から2019年まで販売した「nasne」を継承、2021年3月から販売を開始しました。「nasne」は、ハードディスクドライブと地上デジタル/衛星デジタルチューナーを搭載したネットワークレコーダー&メディアストレージとして、多くのユーザーに支持されつつ販売終了となった製品です。

人気ブランドを継承、販売を開始するにあたり、バッファローは東京大学エコノミックコンサルティング(UTEcon)の協業のもと、これまで「勘・経験・度胸」で決められることの多かった販売価格を、データサイエンスを活用して決定、市場に投入しました。バッファロー版「nasne」でどんなデータ活用マーケティングが行われたか、UTEcon取締役で東京大学 大学院経済学研究科 および 公共政策大学院 教授の渡辺安虎氏とバッファロー 事業本部 事業統括部 部長 松﨑真也氏に話を聞きました。

人気ブランドの継承・復活には
「データを活用した」価格決定が必要だった

まず、バッファロー版「nasne」とはどのような商品か教えてください

松崎:

「nasne」はかつてSIEが手がけた商品で、2019年に惜しまれつつ販売終了しました。ストレスなく軽快に操作できるユーザーインターフェース、PS4やスマホ・タブレットなどを通じて、放送中の番組や録画番組を楽しめる利便性や、外出先から家庭内の「nasne」にアクセスし、テレビ番組の録画予約が可能となるなど、オンリーワンの商品でした。

バッファローが「nasne」を継承するにあたって、内蔵HDD容量を増やし、iOSでの高解像度対応など製品自体の機能アップグレードを行いましたが、そこで問題になったのが「適正な販売価格は一体いくらか」という課題です。

それまで、販売価格はどのように決まっていたのですか?

松崎:

新商品の価格には、ユーザーニーズやブランド価値、発売タイミングなどさまざまな要素を反映する必要がありました。しかし、従来のバッファローの商品価格決定は、どちらかというと「KKD(経験、勘、度胸)」によるもの。

「nasne」は多くのユーザーが愛着を持つブランドで、実際にいくらが適切なのかという点で、明確な理論や根拠があるわけでなく、判断に困る状態でした。そこで白羽の矢が立ったのがデータサイエンスでした。過去のデータや数値から、新商品の価格を科学的に算出できないか、UTEconに相談しました。

バッファローの思いにUTEconが共感し、
プロジェクトがスタート

UTEconではどのようなサービスを展開しているのでしょうか

松崎:

UTEconは、東京大学の子会社として経済学やマーケティング、会計学や統計学の研究者が集まり、研究成果に基づいたコンサルティングサービスを提供しています。

学術的な研究をビジネスに活用してもらうことで、研究成果を世の中に還元していくのが目的です。最近の事例では、三菱商事のアジアにおける100%子会社で電力事業会社のDiamond Generating Asia(DGA)様向けに、取引企業の財務審査をより効率化するために機械学習を活用した分析モデルを開発した事例や東京都千代田区様向けにマーケットデザインに基づいたワクチン接種計画に関するアドバイザリーといったものがあります。

UTEconとバッファローのアライアンスはいつ頃から始まりましたか?

渡辺:

2020年の11月に相談をいただき、12月くらいからプロジェクトがスタートしました。相談を受けての最初の印象は「面白いプロジェクトだな」というものです。

新商品の価格決定というビジネス課題が非常に明確でした。我々の研究分野である産業組織論や計量マーケティングでも、価格設定は大きな関心のあるテーマで、データサイエンスを新製品のマーケティングに活用できるエキサイティングな挑戦だとの思いを抱きました。

松崎:

バッファローでは、科学的アプローチを経営に導入するため、プロジェクト発足前から、社内で選抜されたメンバーが東大データサイエンススクールで基礎的な知識を学んでいました。

2020年7月から2021年2月ごろまでの期間で、統計学や機械学習の法則から未来を予測する手法を学ぶカリキュラムでした。そして、UTEconの支援のもと、学びを実践する場としてプロジェクトがスタートしました。

データの重みづけには「実ビジネス」を通じた視点、
知見が重要だった

価格決定にあたり、どのようなデータサイエンスの手法を用いたのでしょうか?

渡辺:

類似する他社製レコーダー製品の過去の販売データや価格データなどを、バッファロー側に用意してもらいました。

そして、重要なのが「データの意味」の理解です。分析の際にどのデータが価格決定を考える際にどの程度意味を持つか、データの重みづけは単にデータを見るだけではなく、定性的な「ビジネスの勘所」をバッファローから提供してもらう必要がありました。

たとえば、売れ行きには季節性がどのように影響するのか、各流通チャネルでどのような販売・流通の慣行があるのか、類似のレコーダーの販売実績にどういう要因が影響しているか、定性的な要因を分析モデルに反映しないと、分析結果のパフォーマンスが低下する可能性があります。

そこで、現場のビジネスに精通した方々からヒアリングを行い、バッファロー側に蓄積した知見をさまざまな角度から検討しました。

単なる新商品発売とは異なり、ブランドの価値をどう見積もるかも大事ですね

渡辺:

ファンの愛着をいかに価格に反映させるかは大事なポイントです。ブランドがどのように売上に影響をあたえるか、計量経済学的な手法でブランド効果を推定することができます。

「nasne」の場合、それぞれの世代で差別化されたブランド効果を捉え、さまざまな要素を内部で議論して分析モデルを開発していきました。そして、分析モデルにデータを当てはめて販売価格を予測し、最終的に新しい「nasne」に適用しました。

分析モデル開発にはどの程度の時間をかけましたか?

渡辺:

2020年12月から年初にかけてデータを準備してもらい、そこから約1か月で分析モデルを開発しました。その間、毎週2回、定期ミーティングを行い、UTEcon側では専任職員の他に東大と慶應義塾大学の経済学者に加えて、国外からもイェール大学や香港科技大学の経済学者もリモートで参加し、全部で6名の経済学者が関わって議論や分析を進めました。

松崎:

3月末の発売に向け、価格決定の期限は2020年2月半ばでした。そのために必要な分析データは2月上旬くらいまでに用意する必要があり、2月の半ばくらいまでにはプロジェクトの最終結果を出す必要がありました。

渡辺:

かなり短い期間で開発を行いました。私自身、研究では1年以上かかる作業量・検討量のプロジェクトだったと思います。これだけの短期間で完了できるか、正直、不安もありましたが、この分野の専門家とアシスタントも合わせると総勢16人のチームで取り組むことで実際にこの期間でやりきることができ、参加した研究者は皆、驚いていました(笑)。

スイートスポットに合致した価格で
想像以上のマーケットの反響を呼ぶ

発売後の反響について教えてください

松崎:

バッファロー版「nasne」は2021年3月25日からamazon内バッファロー公式ストアで予約開始となりました。初回分は4時間以内で完売し、2次・3次入荷分も24時間以内に完売と想像以上の反響が得られました。これほどの反響は過去にほとんど経験したことがなく、販売が好調な反面、お客様をお待たせする結果となり、ご迷惑をおかけしています。

反響の大きさは、29,800円(税込)という販売価格がお客様のスイートスポットに合致した結果と考えます。そうした価格を科学的な分析の裏付けによって数値化してもらったことに大きな意味があると思います。

プロジェクトがうまく進んだ成功要因はどこにあると考えますか?

渡辺:

バッファローとのコミュニケーションがスムーズに進んだ点が大きいです。こちらが知りたいポイントを答えてくれるだけでなく、周辺情報も提供してくれて理解が急速に進みました。

迅速に、協力的にデータを用意していただき、週に2回の定例ミーティングは想定以上に密度の濃い内容となりました。バッファロー側の協力がなければ成功は難しかったと思います。

これまでの価格決定プロセスと異なるアプローチで市場投入し成功実績を積んだ意味をどう考えますか?

松崎:

「nasne」は我々にとっても重要な商品で、ブランドを継承して復活させるということは、市場の期待値も高く、ブランドに対する責任も重いものがありました。

我々にとって新しい製品でもあり、過去の実績から未来を導き出すことができない中で、データサイエンスによる科学的な裏付けで価格決定が可能になったことで、今後の商品の価格決定にも展開していけると思います。

我々のビジネスは市場環境の変化が早く、過去の実績が通用するとは限りません。流通もサプライチェーンも変わっていく中で、データをもとに未来を予測したという経験は、我々の大きな財産になると思います。

データ活用を自走するため、
データサイエンス人材の育成にも注力していく

今後の展望について聞かせてください

松崎:

今回のプロジェクトを経て、バッファロー社内でも、データサイエンスを活用した分析・予測を実行していけるような体制づくり、他の商品にも今回の分析モデルを活用する取り組みが始まっています。

データ分析と一言でいっても、データを定期的にクリーニングし、分析できるよう加工する地道な作業が必要です。また、分析結果が正しいかを常に検証していく必要もあります。技術の変遷やマーケットの動向も早く変化する中で、分析モデルを継続してメンテナンスしていくことが重要です。

渡辺:

今回のプロジェクトは、経済学と機械学習を融合したアプローチをとったという点でも画期的だといえます。新商品の価格に単なる機械学習を用いた予測だけでなく、価格の上げ下げによってお客様がどう動くかという、経済学や計量マーケティングの観点も加味されているのです。

価格設定以外にも今回の分析モデルが活用できると思いますか?

松崎:

今後の取り組みとして、データサイエンスを活用した新製品の価格付けを横展開するとともに、需要の適切な予測をめざし、お客様の満足度をさらに高めるよう改善を続けていきます。

また、テレワークの推進や、巣ごもりなどの需要が高まり、周辺機器需要は増えています。より快適にIT機器をお使いいただけるよう、データサイエンスを活用した値付けと需要予測で、良い商品をお客様にお届けしていきたいです。

そして、データサイエンス人材の育成にも全社的に取り組んでいきます。バッファローでは、海外や国内でのMBA取得、大学でのデータサイエンスコースへの派遣など、社員教育に力を入れています。東大データサイエンススクールや名古屋大学のデータサイエンティスト育成プログラムに社員を派遣し、データサイエンスの活用以外にもマネジメント、マーケティング、統計学などの社員のスキル向上を支援していきます。

最後に、こんな価値を提供していきたいという抱負があればお聞かせください

渡辺:

東京大学の子会社として、我々研究者が提供するツールを世の中に役立ててもらいたいです。特に、ミクロ経済学の道具は、これまで世の中に役立ててもらう機会が多くありませんでした。一方で、企業や消費者の行動に関する研究は長年にわたり継続、蓄積されており、そうした研究成果や知見を幅広く世の中に役立ててもらいたいです。

今回のプロジェクトで、実際の新商品の価格決定に携われたことは大きな幸せです。今回携わった経済学者の総意として、知的にも刺激的で世の中の役に立てる機会をいただいたことに感謝しています。

渡辺 安虎 氏

わたなべ・やすとら / 1998年東京大学 経済学部 卒業。2005年ペンシルベニア大学 Ph.D.、ノースウェスタン大学 ケロッグ経営大学院 助教授を経て2017年7月にはアマゾンジャパン シニアエコノミスト、経済学部門長を歴任。2019年7月東京大学 大学院経済学研究科 および 公共政策大学院 教授に就任し、2020年8月からはUTEcon取締役を兼任。

松﨑 真也

まつざき・しんや / 1998年バッファロー(当時メルコ)入社。マーケティング、経営企画部門などを歴任し、現在の事業統括部では量販店(コンシューマー)向けビジネスの司令塔として、さまざまな販売施策の立案、実施、検証などを行う。今回のバッファロー版「nasne」の新発売においては、データサイエンスを活用した価格決定プロジェクトを主導した。