EPILOGUE

誠の思い

〜ウェスタンを自作のアンプで鳴らしたい〜

50周年を目前にして、「音を再生したい」という廣美夫人の要望に応えて集まった戸田、相羽、鏡味といった当時夜を徹してオーディオに没頭した仲間たち。

誠は、当初リファレンスとしていたJBLのスピーカーを辞め、アメリカの解体された劇場から放出された「ウェスタン・エレクトリック」のスピーカーにのめり込み、それだけは遺して逝った、と廣美夫人は言う。

「家中のお金をかき集めては、ウェスタンのスピーカーを買い漁り、それだけは遺していました。アンプは自分で作って楽しみたかったんだと思います」

もし誠が生きていて、「もう一度一緒にオーディオをやらないか」と声を掛けられたら? と問われた戸田、相羽、鏡味は、異口同音に次のように語った。

「このメンバーは、誠さんの言うことを100%鵜呑みにはしない人たちばかりです。もし誠さんが生きていてアンプを作ることになったとしても、『ここはどうなの?』とか言い合いになりながらやるんだろうな。でも、誠さんはぜんぜん根に持たないタイプなので、その分、闊達な議論が交わせました。言うべきことはきちんと言える人。それが誠さんの魅力でしょう。そして、ほんとうにオーディオが好きだったんだと思う」

そんな当時の音を知る3人だからこそ可能となった“復刻再生プロジェクト”だが、鏡味は次のように言う。

「当時の音を復刻すると言っても、当時使っていたものをそのまま使うしかない。記憶にある音はみんな違いますから」

実は復刻にあたり足りない機材などの入手先には、戸田や相羽のほか、誠と同郷の同級生だった村瀬修一がいる。村瀬は自らの仕事の合間に誠の試聴室にやってきては、オーディオを囲んだタバコ仲間で、名物ユーザーのひとりである。

「誠さんにオーディオのことで相談すると、すぐに的確な答えが返ってきました。こんなネットワークが欲しいと言うと、目の前でささっと図面を描いて部品まで見繕ってくれて。この人のアタマ、どうなってるんだろうって。その後、誠さんとは同郷の仕事で一緒になったことがあったけれど、オーディオのときとは全くの別人でした」

村瀬邸には今も3組のアンプと誠が製作したオリジナルの
フルレンジスピーカーが極上の状態で存在する。
「このスピーカーは今でも一番良い音がする
お気に入り。
誠さんはどんな相談にも
すぐ的確な答えをくれ、材料を手配して
製作までしてくれました。
大久保式ターンテーブルが完成したときの
嬉しそうな顔は未だに忘れられません」(村瀬)

メルコ記念館のオーディオシステムは、主に村瀬の手に入れた製品を相羽が手直しし、戸田が最終チェックするという流れで、わずか3年で聴けるまでにした。

メルコ記念館で当日鳴らしていたイコライザー・プリアンプ「EP-10」、ステレオ・パワーアンプ「MPA-10」、
ターンテーブル「3533システム」。ただし動作しているモーターは8極の3108

「主人(誠)は、ほんとうは、音で生きていきたかったんだと思う。リタイアしたら音に戻りたいと言っていました。最初の5年間ほど、みなさんに助けてもらいながらひとりで頑張ったけれど、事業としては成り立たないということもわかった。時代の変化というのもあったと思うけれど、音では食べていけないということもよく理解していたのだと思う。その後勉強したパソコンとの出会いは、家族や社員を養うための分岐点。次の時代が来そうだと感じたのだと思う。必ずしも好きな仕事ではなかったんだとは思います」

そう語り、廣美夫人は最後にひとこと述べて3人に頭を下げた。

「音が出たこと、そしてまたみなさんに会えたことに感謝です」

(2023年3月19日、於:名古屋メルコ記念館)

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