EPISODE. 1

メルショップの開業が
窮地を救う

〜「顧客志向」の“原点” 〜

在学中に夢中になったオーディオ作りをそのまま仕事に結び付けようとした誠。しかし、初号機「EP-10」は発売から半年もするとパタリと売れなくなり、好きなだけではモノが売れないことを痛感することになる。

もっとも、ここで転機が訪れる。1977年6月、秋葉原電気街と上野の雑貨街が同居したような商業施設「ラジオセンターアメ横ビル」が、名古屋・大須に進出。当初、秋葉原の電気街をそのまま大須に持ってくるというのがコンセプトで、ほとんどが東京の店舗であった中、数少ない地元の店舗の一つとして、3.3坪の「メルショップ」が誕生する。それは、人気映画館であった東宝名劇(旧名古屋劇場)が1972年に火災で焼失し、街が活気を失いかけていたとき、大須再生のきっかけとして、跡地に商業ビルが建設され、そこへ積極的に誘致活動をしたのが、誠だったからである。

ラジオセンターアメ横ビルのメルショップ

誠はこのメルショップで、オーディオ製品やパーツを売って日銭を稼げるようになった。と同時に、“アンテナショップ”として活用することで、顧客ニーズを探ることができるようになった。メルコが掲げる「お客様が喜ぶことを考え続ける」という哲学と、それを実践するために「お客様の行動を注意深く観察し分析すること」の原点がここにある。この経験は、のちに自社ホームページを活用した「玄人志向」のインターネット掲示板、ひいては現在のSNSを活用したPRやサポート、サービスのあり方にも繋がっている。

メルショップはオープンした年の正月3日間を24時間営業にして、初詣が続いたかのような行列ができることもあった。従業員は2階倉庫で仮眠を取ることもしばしば。スピーカーユニットを供給するパイオニア社の63cmウーファーPW-63Sのための吸音材ダイセルやフェルトは、いい塩梅のマットレスになった。コーラル社の営業社員がヘルプに立ってくれたこともあったという。

一方、誠が自宅1階に設けた試聴室には、音にこだわるマニアの人々が続々と集まってくるようになった。ちなみにこの試聴室は、誠を東京から呼び戻そうと両親が用意したもので、誠こだわりの設計・設備がふんだんに投入されたものだった。

誠の試聴室。床はRCにベタ基礎、窓もなく高天井で、防音の鉄扉には表面に木の板が貼られていた。
東京から音響の専門家を呼び、設計してもらったという。
ロングピースのチェーンスモーカーだった誠は、そこに籠もってJBL4450をリファレンスに試聴を繰り返した。
フロント側はステージになっていてパイオニアPW-50もあり、反対側にアンプを設置

“四畳半企業”と言われるが、それは作業場の話。当時のことを、のちに誠は次のように語っている。

「営業部長という肩書きでオーディオファンの人たちの話を聞くと、自信を持って作ったアンプは箸にも棒にもかからない製品だったのです。オーディオルームまで作って毎日毎日高価なスピーカーを置いて聴き比べしてきたのに、それはひとりよがりだったのか。自己実現すべき自分の姿がガラガラと音を立てて崩れていくのを感じました。ずっと後になって、良い音とは人それぞれで、芸術作品の価値を語るように非常にあいまいな部分が多いとわかってきました。もし、当時もそれを知っていれば、もう少し冷静に受け止められたとも思えるのですが、とにかくそのときのショックは大きく、その後の私の人生を変えてしまったと言っても過言ではありません。ものの見方が、主観から客観に変わった瞬間でした。それ以後、私は顧客の声にじっと耳を傾けて製品を開発することにしたのです」

廣美夫人は当時を次のように振り返る。

「今思えば、人の縁というのはありがたいものです。でも、週末や盆、正月は休もうと思っても人が集まってきて、一日中ウチに居るんです。お昼を出して、晩ご飯も出して…。この部屋の平日の別名は“夫婦げんかの部屋”でしたからね」

メルショップが繁盛し、顧客のアドバイスを受け入れて改良を重ねたおかげもあってイコライザー・プリアンプ「EP-10」も売れはじめると、製品開発と組み立ての傍らで、店番も必要となる。開店当時からアンプの組み立てを担った稲垣順一のほか、夫人の弟・鏡味の縁で、名古屋工業大学(名工大)の学生だった戸田政治がヘルプに入る。当時、誠の右腕となったひとりだ。

戸田政治

「私がアルバイトとして過ごした期間は、1979〜80年初頭ぐらいまででしょうか。ステレオ・パワーアンプ『MPA-10』の組み立てや、組み立て用のハーネス作り、イコライザー・プリアンプ『EP-10』の電源部分などを誠さんと製作しました。お客様から依頼された特注アンプの回路図を描いてシャーシー加工から組み立てまでを担ったこともありました」

その戸田は、このたびのメルコ記念館創設にあたり、試聴機材の最終整備や提供を行っている。誠の一周忌にあたり廣美夫人が弟の鏡味に「音を再生させたい」と依頼したことで、当時の音が復活したのだ。

当時を知るメンバーにより復元されたオーディオシステム。
メルコ記念館で当時を彷彿させる鮮烈なサウンドを響かせている

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