創業当初
“食うにも困る”アンプ開発
〜初号機「EP-10」〜
社名のメルコ(MELCO)は、牧技術研究所(Maki Engineering Laboratory Company)の略称で、次のようなオーディオ製品を開発・販売していた。実質的な稼働は5年間ほどである。
オーディオ製品 発売年表
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管球式イコライザー・プリアンプ「EP-10」 発売
管球式イコライザー・プリアンプ「EP-10」 発売
1975年9月発売。オプションとしてローズウッドのケースを用意
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50W/50Wステレオ・パワーアンプ「MPA-10」
50W/50Wステレオ・パワーアンプ「MPA-10」
発売は1976年10月。当初は茶色でスリットも細く前面にRが付いていたが、のちにスリット間隔が広いものや、ブラック色のマイナーチェンジバージョンも発売された
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低容量スピーカー・コード「メルコード」 発売
低容量スピーカー・コード「メルコード」 発売
8芯のより線スピーカーケーブル。「信号は線の表面積を伝わることから、表面積を広くしようと考えたんです。ピンクと白の8芯だった」(相羽)
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管球式フラット・プリアンプ「FP-11」 発売
管球式フラット・プリアンプ「FP-11」 発売
オプションとしてマランツ7風の白木のケースが用意されていた
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低容量シールド線「シルバーコード」 発売
低容量シールド線「シルバーコード」 発売
スピーカー・ケーブル「メルコード」に次ぐメルコケーブル第2弾は、銀メッキ線のRCAピンケーブル
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大久保式糸ドライブプレーヤー「3533システム」 発売
大久保式糸ドライブプレーヤー「3533システム」 発売
「3533システム」として組み合わされた24極の3124モーターは、メルコ記念館ショーケース内に展示
廣美夫人が、創業当初の様子を話しはじめる。
「主人・誠との出会いは1976年3月。私が大学卒業後すぐに見合い結婚したんです。そのときの売り文句は『華々しく事業をしている』でした」
ところが実態は、オーディオ初号機のイコライザー・プリアンプ「EP-10」の在庫を抱えた個人事業主だった。
誠は、早稲田大学から同大学院に進学、半導体を専攻した。在学中、趣味が高じて『無線と実験』(誠文堂新光社刊/現『MJ無線と実験』)『ラジオ技術』(インプレス刊、現在休刊)といったオーディオ専門誌に「牧まこと」のペンネームで回路図を投稿。さらにアルバイトとして、東京・秋葉原にあったオーディオメーカー株式会社ジムテック(JMTEC)で、アンプの開発・設計を担当するまでになる。当時のアメリカのトップブランドJBLとアルテックを彷彿させる社名が示すとおり、誠自身も「オーディオの世界一」を目指して熱中していたことが推察される。
JMTECアンプM-100と当時の測定カット
『ラジオ技術』に「牧まこと」名義で
投稿していた当時の原稿
ところが大学院の卒業を間近に控えた3月になっても、当時手掛けていたアンプを製品化できなかった誠は、それを完成させるためにせっかく決まっていた企業の内定を辞退したことで、両親の怒りを買う。かくして、1975年4月に実家の跡取りとして名古屋に呼び戻された誠は、同年5月に個人事業主として開業した。“元祖四畳半メーカー”と呼ばれる所以である。
「ひとりでやっているようなところに嫁に来たから、すぐ領収書の山を渡されて」
廣美夫人は当時を振り返って苦笑する。今でこそ笑い飛ばすこともできようが、甘い新婚生活とは程遠かったことは想像に難くない。
新婚時代の牧夫妻
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